２．ニセ嫁修行、始めました。　その３

　自転車で五分もかからない距離をわざわざ車で送迎されて三成家に到着した。本家に比べれば小さな屋敷とはいえ、それでも十分に広くてまるで小さな城のような家。

　広大な敷地に、一矢のためだけに建てられたという邸宅。中松もここに住み込んでいて、コックをはじめとする数名の使用人が出入りしている。広々としたゲストルームまで備えられ、かくれんぼでもできそうな空間。無駄な調度品は一切なく、白を基調にした上品な造りに、立派な門構え。敷地内には、一矢所有の高級車が二台、そして中松が使う送迎用リムジンが一台、計三台が並び、それでもまだ余裕があるほどの庭に、美しく手入れされた緑が広がっている。

　一階が洋食店舗、狭い二階と三階が住居。大家族で暮らす我が家とは、まるで別世界のようだ。

　それにしても――初恋の相手がこれほどまでに厄介な存在だったとは思わなかった。

　身分差がある恋だとわかっていたけれど、まさか“ニセ嫁”としてこの家に入ることになるなんて、当時は想像すらしていなかった。

　でも、これはチャンス！　一矢の本妻になれる可能性が、ほんの少しでもあるのなら――。

　グリーンバンブーで働き始めてからというもの、ここを訪れる機会は少なくなっていた。久しぶりに足を踏み入れる豪邸に、思わず背筋を正して「お邪魔いたします」と丁寧に挨拶した。

　磨き上げられた大理石の床。石の種類も名前も知らないけれど、高価なことは素人目にも分かる。廊下や部屋、階段に至るまで、どこを見ても隙のない美しさ。天井から吊るされた照明までもが洗練されていて、まるでドラマのセットのようだった。

――“特別に遊びに来させてやってもいいぞ”

　昔、一矢が嬉しそうにそう言ってくれた日のことを思い出す。変わらない美しさに、私の場違い感がより際立つ。

　……ニセ嫁だとしても、この家の“主の妻”という立場は重すぎる。

　バスルームを使わせてもらうのは初めてなので、中松に案内してもらった。

「湯をはった方がよろしいですか？」

「ううん、シャワーで大丈夫。着替えとタオルも持ってきたから」

「伊織様がご持参された、その“貧相なお召し物”はご遠慮ください。下着からすべて、こちらで用意したものをご着用いただきます。タオルも同様に、備え付けのものをお使いください」

「ひ……貧相……っ！」

　目を見開いた。お気に入りのワンピースだったのに！

「偽物とはいえ、貴婦人たる者、安価な衣類を身につけることは許されません。姿勢矯正のため、コルセットも着用していただきます」

――言いたい放題だわ……。

「コルセットは苦しいから、できれば避けたいんだけど」

「ご冗談を」中松は鼻で笑った。「では、私が無理やり着せてもよろしいということで異存はございませんね？」

「……自分で着ます」

　どうせ中松のことだ。本当に着せながら「貧相でございますね、ふっ」とか言うに決まってる。想像しただけでムカついてしまい、無言で睨みつけた。

「シャワーは十五分以内にお済ませください。もし洗髪が必要なら、後ほど私が整えて差し上げます。まずは衣類の着用までを済ませてください。外で待機しておりますので、終わりましたらお声かけください」

　持ってきた着替えは中松によって回収され、スマートフォンも一緒に預けられてしまった。

　中松の超・鬼！

　……あら、いけない。私は今、“淑女”としての練習中の身。

　男性を“鬼”呼ばわりするなんて、おほほ、品がありませんわね。

　あっ、いけない！　忘れてたっ。

　グリーンバンブーの夜営業はどうしたらいいの？